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ザ・クラッシュ(The Clash)は、1976年 - 1986年にかけて活動した、イギリス・ロンドン出身のパンク・ロックバンドである。セックス・ピストルズと並び称されるロンドン・パンクの雄でありながら、ステレオタイプのパンク・ロックの枠にとらわれず、レゲエやダブなどの音楽的要素を貪欲に吸収し、独自の個性を確立してシーンに大きな影響を与えた。

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最も成功したパンクバンドの一つであり、また、時代を象徴するロックバンドでもある。1stアルバムは音楽的にパンク色の強いものであったが、徐々にレゲエやダブ、ロカビリー、ジャズ、スカといった様々な音楽の要素を取り入れ、3rd『ロンドン・コーリング』を代表とするいわゆる普通のパンクサウンドとはかけ離れた、幅広い音楽性を持った傑作を生み出した。また、ステージ上での激しいパフォーマンスも人々に記憶されている。

彼らはその活動当初から、音楽の才能と歌詞で他のパンク・ロックバンドとは一線を画す存在であった。特にジョー・ストラマーとミック・ジョーンズによって書かれた歌詞は、情熱的かつ左翼的政治主張を強く意識した非常に主張性、論旨性の強いものであった。

彼らはデビュー当時から早くもその発言、ファッションをセンセーショナルに受け止められたバンドではあったが、セックス・ピストルズには業界人マルコム・マクラーレンを中心とした、いわば「作為的なムーブメントバックアップ」が大きくついていたのに対し、クラッシュにはそれほどの後ろ盾が無く、初期は金銭面でのやりくりに苦労した(ジャケットやシューズなどの衣装が買えず、自分たちで自作していたほどだったとジョー・ストラマーは自伝で語っている)。中心人物のジョー・ストラマーは労働階級出身者の多いパンクバンドのメンバー中では珍しい中産階級出身ではあるが(父親は外交官)、後ろ盾が希薄なバンド発足時は切り詰めた生活を送っていた(クラッシュにもバーニー・ローズという代表的マネージャーは存在)。

その後、クラッシュは音楽性の幅を広げ、他のパンクバンドとは一線を画した作品をリリースすることになる。3rd『ロンドン・コーリング』は今までパンクをこき下ろしてきた英の音楽批評誌にも絶賛され、4thには三枚組の意欲作『サンディニスタ!』を発表。本国だけではなく米でも次代を担うバンドの一つとしての評価を確立する。

しかし、徐々にメンバー間に不協和が生まれ、まずドラマーのトッパー・ヒードンが、さらにはリード・ギタリストのミック・ジョーンズがグループをクビになってしまう。 ジョー・ストラマーとポール・シムノンは新メンバー3人を迎えた新体制で再出発を図るが、発表したアルバム『カット・ザ・クラップ』はメディア、ファン両者の支持を得られず、結局バンドは解散する。

ジョー・ストラマーはソロとして活動したが、2002年12月22日にサマセット州ブルームフィールドにある自宅で心臓発作で死去。

クラッシュはパンク、ロックを越えた社会運動を作り出した。ロンドンでは英連邦に所属した地域のマイノリティが貧困の中に生活していた。ジャマイカからの移民もマイノリティの一つとしてロンドン市内にコミュニティを形成していた。

不況、失業、社会の不平等を音楽を通じて表現していたクラッシュは、日曜ごとに集まるカリブ系移民のコミュニティに呼応し、しばしば活動をともにした。この活動がレゲエに傾倒していくきっかけになった。労働組合活動、学生運動とともに民族的マイノリティの活動は警察権力からの弾圧を受けることがあり、クラッシュも弾圧の現場に弱者の立場としてかかわっており、このことがクラッシュの国家との対決姿勢を色濃くさせている。ロックという表現が社会の変革にあるならば、クラッシュの目指したものはそこだったと言えるだろう。

彼らの代表曲のひとつである「アイ・フォート・ザ・ロウ」(オリジナルは、アメリカの伝説的なロックンローラーであるバディ・ホリーのバックバンドをつとめたクリケッツに在籍していた、ソニー・カーティス。同曲はクラッシュ以外にも様々なアーティストがカバーしている。アメリカのロック・バンド、ボビー・フラー・フォーが60年代にヒットさせたヴァージョンは特に有名)は、2003年まで日産・エクストレイルのCM曲として使われており、日本でも知名度が高い。ただし、その歌詞は「俺は法と戦った。そして(俺は負け)法が勝ったのさ」といった内容で、彼らの姿勢が端的にあらわれていると言える。
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1976.01.01 
ブラック・フラッグ (BLACK FLAG) は1976年、南カリフォルニアで結成されたハードコア・パンク・バンド。 Black Flag(黒旗)はアナーキストの象徴。


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メンバーの入れ替わりが激しく、結成から解散までバンドに在籍していたのは、リーダーでギタリストのグレッグ・ギンだけだった。

1981年にブラック・フラッグのファンでもあった、ワシントンD.C.出身のS.O.A(ステイト・オブ・アラート)のVoヘンリー・ロリンズがボーカリストとしてバンドに加入(ロリンズ加入までボーカリストは3回交代しており、その中には後にサークル・ジャークスに参加したキース・モリスがいる)。ロリンズの参加は、東海岸でもブラック・フラッグの名前が知れ渡るきっかけになり、バンドはその頃から活動を活発にしてゆき、ツアーをこなしながら次々とレコードをリリースする。1986年に解散。ロリンズは後にロリンズ・バンドを結成する。

ロリンズの他にも、後期に参加した女性ベーシストキラ・ロゼラー、前期・中期に参加したベーシストチャック・ドゥコウスキーなどが、定評あるメンバーとして知られる。

レコードの多くはギンが設立したインディー・レーベル「SST Records」を通してリリースされた。SSTはブラック・フラッグの作品以外にもミート・パペッツ、ミニットメン、ハスカー・ドゥー、バッドブレインズ、ソニック・ユース、ダイナソーJr.、サウンドガーデンなど、ハードコアや初期オルタナの音源がリリースされており、80年代のアメリカを代表するインディー・レーベルとなった。

なお、『SST』とは『SOLID STATE TUNER』の略である。この名称は、アマチュア無線の愛好家でもあったギンが、ラジオ部品を販売するために設立した会社であったことを示している。この事業でもギンは相応の成功を収めたという。

アメリカ、特にウェストコーストのハードコアシーンに与えた影響は大きく、USハードコアの創始者ともいえる。ただし、一般的なハードコアと違い、ブラック・フラッグの音楽は必ずしもスピードに重きをおかない。また、ブラック・サバスをはじめパンクロック以外の音楽からも影響を受けている。この傾向は特に、ロリンズ加入後(1980年代前半)の曲で顕著である。

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1976.01.01 
ザ・ダムド (The Damned) は、1976年に結成されたイギリスのパンク・ロック・バンドである。セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュと並んで3大パンク(バンド)のひとつに数えられている。



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1976年、最初にシングル、およびアルバムをリリースしたロンドンパンクのバンドである。ただし、社会的批判・主張から生まれたパンク・ムーブメントの中にあって、彼らはパンクを楽しんでいた様子で、クラッシュやストラングラーズに代表される政治的・社会的な主張はあまり盛り込まれていない。しかし、その圧倒的なスピード感と激しさと轟音(当時の中で)による強烈なビート・サウンドは後に登場するハードコア・パンクに大きな影響を与えた。そういう意味では、パンクのサウンド面において大きな役割を果たしたと言えよう。

現在もデイブ・ヴァニアンとキャプテン・センシブルは活動を継続しており、コンスタントにライブを行い、2008年11月には新作も発表している。

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1976.01.01 
セックス・ピストルズ (Sex Pistols) は、イギリスのパンク・ロックバンド。ロンドン・パンク・ムーブメントを代表するバンドである。ロックが本来持つ反社会性を甦らせ、現在に至るパンク・ロックの原形と目されている。ザ・クラッシュ、バズコックス、ジョイ・ディビジョンらは彼らに感化を受けてバンド活動を始めた。

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1976年11月 - 結成
1977年10月 - ファーストアルバム『Never Mind the Bollocks』を発売。
1978年1月14日 - 初のアメリカツアーの最中(サンフランシスコ、ウインターランド公演後)に、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。
その後スティーブ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人であるロナルド・ビッグスや、ナチスの戦犯で絞首刑の判決を受けたが1972年まで死体が見つからなかったため南米逃亡説のあるマルチン・ボルマン(これは本人かどうかも不明だが、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』でもナチスの制服を着用した男が登場している)とのコラボレーションを行い、おふざけ半分でピストルズを延命させた。マルコムは、嫌がるシド・ヴィシャスに、フランク・シナトラの「My Way」(替え歌)をレコーディングさせ、レコード発売もおこなっている。その後シドは恋人であったナンシー・スパンゲンを刺殺した容疑をかけられたまま麻薬の大量摂取が原因で他界。結果的にはシドの代表的ナンバーとなった。

1996年には、ベースにグレン・マトロックを復帰させ再結成、世界ツアーを行い、来日した。海外の有名アーティストとしては異例の一ヶ月間かけた全国18公演を行っている。

2002年夏に二回目の再結成、イギリスとアメリカで2公演を行い、2003年夏にはアメリカツアーを行う。2007年11月に四回目の再結成を行い、ワールドツアーを展開。2008年、サマーソニックに出演。

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1976.01.01 
バッド・ブレインズ(Bad Brains)とは、1978年にメリーランド州プリンス・ジョージ・カウンティで結成されたロックバンド。初期はアメリカン・ハードコアのオリジネイターとして、後にはレゲエ、ヘヴィメタルの要素も取り入れたミクスチャー・ロックのさきがけとして名を馳せた。またメンバー全員が黒人のパンク・バンドとして、初めて大きな音楽的影響力を持ったバンドである。バンド名はラモーンズの4枚目のアルバム『Road to Ruin』に収められた曲『Bad Brain』から。

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ワシントンD.C.時代
高校で知り合った後の中心メンバー4人に、シド・マックレイを加えた5人編成バンド、『マインド・パワー(Mind power)[2]』を母体とする。 当時はウェザー・リポートなどのフュージョン系のコピーを行っていた。

その折、マックレイの紹介でラモーンズ、セックス・ピストルズの音源に触れ、大きな衝撃を受ける。バンドはすぐさま音楽志向をパンク・ロックに変更。トラブルのあったマックレイを除いた4人編成のバンド「バッド・ブレインズ」に変身する。

当初はピストルズやイーターなどをコピーしていたが、程なくオリジナル曲を作るようになり、ワシントンD.C.に進出して多くのライブを行う。「ラモーンズを手本に、より進化したい」との思いから、曲は高速化。さらにフュージョン系のコピーで養った高い演奏技術を元に、単なる3コードの繰り返しではない、多彩な曲を演奏し、次第に人気を獲得していく。H.R.の激しいパフォーマンスを話題をさらった。

バッド・ブレインズのライブは、常に暴動寸前の熱狂を呼び起こし、ライブが終わったあとのクラブでどこかが破壊されていないところは無かった、といわれる。そのため、バンドはD.C.中のクラブから締め出しを食らってしまう。代表曲『Banned in DC』はこのことを題材にした曲である。

この時のバッド・ブレインズに触れて多大な影響を受けた人物には、マイナー・スレット、フガジのメンバーとして、またディスコード・レコードの主宰者としてD.C.ハードコア・シーンの中心的人物となるイアン・マッケイや、ブラック・フラッグのヴォーカリストとなるヘンリー・ロリンズなどがいる。


ニューヨーク時代
「D.C.立ち入り禁止」となったバッド・ブレインズは、ニューヨークに進出。CBGBにも出演し、ここでも凄まじい熱狂で迎えられた。この頃は定宿を持たず、CBGBの近くに住んでいた当時ザ・マッドのメンバーであったスクリーミング・マッド・ジョージの家に泊めてもらっていた。

1980年、メンバーはふとしたきっかけでボブ・マーリーのライブを観に行き、大きな衝撃を受ける。H.R.とアールの受けた衝撃は特に大きく、ラスタファリズムに目覚めることになる。もともとザ・クラッシュも好んで聞いていたことから、早速バッド・ブレインズのレパートリーにレゲエが加えられる。ミクスチャー路線の始まりである。

バンドの名声はさらに高まりつつあった。ニューヨークにはバッド・ブレインズを中心としたハードコア・シーンが形成されようとしていた[3]。ダムドと共演した際に実力を認められ、ジョイントしてのイギリス・ツアーを持ち掛けられたり(諸事情により頓挫)、1981年にはザ・クラッシュとも共演した。1982年、ロイアー・レーベルより初のアルバム[4]『Bad Brains』を発表。ホワイトハウスに雷が落ちるジャケット絵と、前代未聞の高速チューンが大きな評判となる。ライナーはヨ・ラ・テンゴのアイラ・カプランが執筆。

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1978.01.01 
デッド・ケネディーズ(Dead Kennedys)は、アメリカ合衆国のパンク・ロックバンド。カリフォルニア州サンフランシスコ出身。パンクらしからぬ抜群の演奏テクニックと、ビアフラの個性的なボーカル、反体制的な歌詞で人気を博し、日本では「究極のパンク」「どパンク」などと評された。

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リード・ヴォーカルのジェロ・ビアフラはインディーズ・レコードレーベル、オルタナティブ・テンタクルズを設立し、多くのオルタナティブ・ミュージックやパンク・バンドのレコードをリリースした。

デッド・ケネディーズは1978年6月、ギタリストのレイ・ペッパーレル(イースト・ベイ・レイ)が出したバンドメンバー募集広告に集まったメンバーにより結成された。バンドはヴォーカルのジェロ・ビアフラ、ベーシストのクラウス・フローライド、ドラマーのテッド(ブルース・シュレシンジャー)から成り、当初は「ザ・シャークス」を名乗った。彼らは地元で多くのステージを行い、1979年10月に最初のシングル「カリフォルニア・ユーバー・アレス」をオルタナティブ・テンタクルズからリリースする。彼らは続いて東海岸のツアーを行った。

彼らはデビューアルバム『Fresh Fruit for Rotting Vegetables』のリリースに先立って、ベイ・エリア・ミュージック・アウォーズへの参加を依頼された。

よく誤解されるのだが、彼らの81年の代表曲「Nazi Punks Fuck Off」は反ナチ・反ファシズムを謳っているわけではない。当時の体育会系ハードコア・パンクスをナチや軍隊のようだと揶揄した曲である。

1978.01.01 
バッド・レリジョン (BAD RELIGION) は、1980年に結成されたパンク・ロックバンド。彼らは結成以来、常に世界情勢・戦争・貧富差・宗教などについて真正面に反対する歌詞を歌いつづけている。


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ペニーワイズやオフスプリングやNOFXなど、彼らに影響されたバンドは多い。彼らが西海岸パンク(スケーターパンクやサーフパンク)に与えた影響力は大きく、多くのフォロワーを生み出し続けている。

ネイティブでも辞書を引かないとわからないほどの難解な単語を多用する、知的な歌詞の為、レキシコン(辞書)パンクスとも呼ばれている。 歌詞はコーネル大学生物学博士号を取得しUCLAで生物学講師をしているグレッグ・グラフィンが、作曲はほぼグレッグ・グラフィンとブレット・ガーヴィッツが行っている(但し、ブレットは一時期バンドを脱退している期間があり、その期間はグレッグ・グラフィンが一人で作詞作曲を行っていた)。

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1980.01.01 
マイナー・スレット(MINOR THREAT) は、1980年に結成され、ワシントンD.C.を中心に活動したハードコア・パンク・バンド。活動期間は約3年間と短かったが、その影響力は今でも大きい。


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1980年に、イアン・マッケイ (Vo) 、ジェフ・ネルソン (Dr) 、ライル・プレスラー (G) 、ブライアン・ベイカー (B) により結成される。
1981年6月にファーストEP『MINOR THREAT』を、12月にセカンドEP『IN MY EYES』をリリースした後に一度解散。
1982年4月に再結成。
1983年に、スティーブ・ハンセンがベーシストとして加入し、ブライアン・ベイカーがギタリストに転向、ツインギター体制となる。サードEP『OUT OF STEP』をリリース。
9月にライブを行い、解散。解散後に、EP『SALAD DAYS』をリリース。

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1980.01.01 
NOFX(ノーエフエックス)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身のパンク・ロック・バンド。いわゆる「メロディック・ハードコア(メロコア)の草分け的存在。非常にスピーディでポップな楽曲が特徴であり、近作ではキーボードなども取り入れた幅広いサウンドを持つ。スカ/レゲエ、カントリーなどの楽曲も秀逸であり、その影には途中加入したエル・ヘーフェの存在が大きい。殊にドラムの、いわゆる「ツービート」の速さは他に類を見ないBPMであり、さらにライブではより加速する傾向にある。


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1982年、当時高校生だったファット・マイク(本名:マイク・バーケット)、エリック・サンディン、エリック・メルヴィンによって結成された。バンド名はネガティヴFXというバンドに因んでつけられており、「彼らのようなダサいバンドにはなりたくない」と言う意味でNOFXとなった。実質的なリーダーであるファット・マイクより、ギターのエル・ヘーフェの方がファットである。

ハイスクール時代に組まれたバンドであった為、私生活の事情などによって結成当初はバンドの入れ替えが激しかった。1989年に発売したアルバム『リベラル・アニメーション - Liberal Animation - 』と『S&Mエアラインズ - S&M Airlines - 』によりヒットするものの、当時メンバー内でマリファナが流行し、それに嫌気がさしてスティーヴ・キッドウィラーが脱退しエル・ヘーフェがメンバーとなって以降は現在までメンバーを変えずに続けている。

メンバーのファット・マイクは独自のレーベルであるファット・レック・コーズを1991年に立ち上げ、日本人ではHi-STANDARDが在籍し、同バンドに対してのプロデュースをして彼らを日本に逆輸入という形でヒットさせる。また、SUM 41などNOFXに影響されたアーティストは多い。The War on Errorismからは同レーベルから発売されている。以前まで在籍していたエピタフ・レコードのとの関係は良好のようで、同レーベルのコンピレーションアルバムにはエピタフの社長であるブレット・ガーヴィッツを擁するバッド・レリジョンも参加している。このアルバムにはグリーン・デイ、オフスプリング、SUM 41、ランシドなどが参加している。他にもファット・マイクはフー・ファイターズのクリス・シフレットらと共にME FIRST AND THE GIMME GIMMESというバンドを組みカバー曲をパンク風にアレンジしている。

日本版CDは高価という理由からか、10年以上「日本版」のアルバムCDは出していない。

アメリカ政府、特に2001年のブッシュ政権発足以降はイラク戦争などの政策に対して激しく反発しており、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやディクシー・チックスらと共に反権力・リベラルな思想を持ったバンドである。また、マイケル・ムーア監督(NOFXのアルバムのジャケット内や歌詞などにも同監督が登場)と同じく反ブッシュ派でアルバム「War on Errorism」ではブッシュを皮肉った絵をジャケットに使い、更に「ROCK AGAINST BUSH」という反ブッシュのオムニバスを2枚プロデュースし、CIAからマークされているという噂がある。

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1982.01.01 
ランシド (RANCID) は、1991年にアメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー(通称イースト・ベイ)で結成されたパンク・ロック・バンドである。

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1987年に、ティム・アームストロング、マット・フリーマンが中心となり、ランシドの前身バンドであるオペレーション・アイヴィーが結成される。パンク・ロック・シーンの聖地ともいわれるギルマン・ストリートで活動していたが、「あまりにも人気が出すぎてしまった」ために、わずか3年でバンドは解散してしまう。

目標を失ったティム・アームストロングは、アルコールとドラッグに溺れ、一時はホームレスにまで転落したが、故エリック・ホーガン(アメリカン・グラフィティー・タトゥー”TIME BOMB”は彼のことを歌っている)や、マット・フリーマンの助けで何とか立ち直る。その後、ダンス・ホール・クラッシャーズを経て、1991年に、当時ルームメイトであったブレット・リードとマット・フリーマンの3人により、ランシドが結成される。

1992年に、シングルEP『Rancid』をルックアウト・レコードよりリリース、翌1993年には、エピタフ・レコードと契約し、1stアルバム『ランシド - Rancid - 』をリリースする。このデビューアルバムに伴うUS・ヨーロッパツアー後に、元UKサブスのラーズ・フレデリクセンがギタリスト兼ボーカリストとして加入する。またこの年には、NOFXのファット・マイクが経営するファット・レック・コーズよりシングルEP『Radio Radio Radio』をリリースする。

1994年には、2ndアルバム『レッツ・ゴー - Let's Go - 』をリリースし、それに伴うワールドツアー後は多くのメジャー・レーベルからオファーが殺到するが、バンドはインディーズ・レーベルにとどまることを選択する。

1995年には、それまでレコーディングに1週間以上費やしたことのなかった彼らが、プロデューサーとしてグリーン・デイなどを手掛けたジェリー・フィンを、ミキサーとしてニルヴァーナ、ソニック・ユースなどを手掛けたアンディ・ウォーラスらを迎え、1ヶ月以上をかけて制作した3rdアルバム『…アンド・アウト・カム・ウルヴズ - ...And Out Come The Wolves - 』をリリース。シングルカットされた「タイム・ボム - Time Bomb - 」の大ヒット、ワールドツアーの成功などにより、このアルバムはアメリカや日本など各国でゴールドディスクを獲得する。

1998年にリリースされた4thアルバム『ライフ・ウォウント・ウエイト - Life Won't Wait - 』では、多彩なゲストを迎えてニューオーリンズやニューヨーク、ロサンゼルス、ジャマイカなどの各地をまわり、1年以上かけてレコーディングされた。このアルバムではレゲエやダブが積極的に取り入れられ、好評価を得た。

2000年には再度セルフタイトルを冠した5thアルバム『ランシドV - Rancid -』をリリース。このアルバム以降は、ティム・アームストロングが主宰するエピタフ・レコード内のレーベル『ヘルキャット・レコード』からリリースされることとなり、さらにマネージメントからも離れ、まさしくDIYによるアルバム制作を行っていくこととなる。その後ティム・アームストロングはトランスプランツ、ラーズ・フレデリクセンはラーズ・フレデリクセン・アンド・ザ・バスターズ、マット・フリーマンはデヴィルズ・ブリゲイドなど、各メンバーのソロプロジェクトを開始する。

そして、前作から約3年経った2003年に再びランシドとして復活した彼らは6thアルバム『インデストラクティブル - Indestructible - 』をリリースする。

2009年6月2日(日本6月3日)7thアルバム『レット・ザ・ドミノズ・フォール』をリリース。

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1991.01.01 
ペニーワイズ(Pennywise)はアメリカ合衆国のパンク・ロックバンド。ブラック・フラッグやサークル・ジャークス、マイナー・スレット、バッド・レリジョンなどに影響を受けたメンバーにより結成。社会への批判などメッセージ性の強い歌詞と、上記バンドからの影響の強い音楽性が特徴。

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結成時のメンバーはジム・リンドバーグ、フレッチャー・ドラッグ、ジェイソン・サースク、バイロン・マクマキンの4人。1996年にジェイソンが脱退し、ランディ・ブラッドベリーがメンバーに加入した。詳細は後述のメンバーの節を参照のこと。

2007年、約10年間在籍していたエピタフ・レコードからMySpace Recordsに移籍。移籍前と変わらず、現在もエピタフ・レコードとの親交は深い。

1991.01.01 
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2008.10.18 
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スタンドも 月までブッ飛ぶ この衝撃…!!!



▼▽sony再生
RANCID / ランシド」
6/3にいよいよ発売される7thアルバム『Let The Dominoes Fall』からの1stシングル「Last One To Die」PV!!


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スゲーッ 爽やかな気分だぜ!! 

新しいパンツをはいたばかりの 
正月元旦の朝のよーによォ????????ッ!!


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2009.05.24 
ティム様が!



おおおおお ラーズ様がアアアーッ!!






戦闘態勢にはいったーーーッ!!

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(2009/06/03)
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こ…こいつは! こいつは!

こいつはやばいッ!

PUNKに選ばれたカリズマ!

緊密さや生気において6枚目以上だあーーッ!!
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続きすかー
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2009.06.04 
おっ!!
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トモダチ発見?(*゚ェ゚*)




「おっす!
はじめましてー!!
そーそーそーそー
DOLLって雑誌あるじゃんー??」
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「来月を最後に廃刊になるらしいねー(ノД`)」



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「とりあえずRANCID表紙だし
HELLCAT詳しく載ってたから
ひっさびさに買ってみたよー」




「やっぱEXILEみたいな
商業主義つーか
金儲けがうまいやつらが
生き残るんじゃねー!?」
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「なにをいってんだぁぁああああ!!

この編集部が
金やチヤホヤされるために
DOLLを描いてると思っていたのかァーッ!!」




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2009.06.08 
イギー・ポップ(Iggy Pop, 1947年4月21日 - )は、アメリカのパンク・ロック歌手。 アメリカミシガン州デトロイト(またはMuskegon)生誕。本名ジェームズ・ニューエル・オスターバーグ・ジュニア(James Newell Osterberg, Jr.)


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略歴
ドラマーから出発し、1967年にはストゥージズ(The Stooges、意:バカの集まり)を結成、ボーカリストとなる。1969年、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを脱退したばかりのジョン・ケイルのプロデュースでデビューアルバム『ストゥージズ』を発表。荒削りなギター、衝動的なボーカルは当時のサイケデリック・サウンドへのアンチテーゼであり、MC5とともにパンク・ロックの先駆けとなった。ストゥージス時代のデビューアルバム、2nd『ファン・ハウス』(1970年)、ベーシストが脱退したためギタリストのロン・アシュトンがベーシストに転向し、新たなギタリスト、ジェームズ・ウィリアムソンを迎え、全曲ウィリアムソンが作曲し、デヴィッド・ボウイがプロデュースした3rd『ロー・パワー』(1973年)(旧邦題:淫力魔人)の3枚はパンクロックの名盤として多くのアーティストに影響を与え続けている。またイギーは、ステージ上で嘔吐したり、ナイフで己の体を切り刻んだり、裸でガラス破片の上を転げまわって血まみれになったり(そのまま救急車で搬送される)といった奇行を繰り返し、過激で暴力的なロックミュージシャンとして悪名を馳せる。しかし1974年にメンバーの薬物中毒などで、バンドの活動は中止に追い込まれた。

その後1977年、デヴィッド・ボウイのプロデュース・作曲でソロ活動を始動、見事に再起を果たす。特にボウイプロデュースの2枚目『ラスト・フォー・ライフ』のタイトルトラックは、1996年に映画「トレインスポッティング」のオープニングに(5分以上カットなしで)使用され、大きく再評価された。

オーストラリアのバンド、ジェットが2003年にリリースした「アー・ユー・ゴナ・ビー・マイ・ガール」がイギーの楽曲「ラスト・フォー・ライフ」と酷似しているとして、ローリング・ストーン誌の「クレイジーなほど似ている曲トップ20」で1位に選ばれている。2008年にはジェットと共にジョニー・オキーフの「ワイルド・ワン」をコラボレーションした。

その後も、元セックス・ピストルズのグレン・マトロックと元パティ・スミス・グループのアイヴァン・クラール(アルバム『ソルジャー』)、スティーヴ・ジョーンズ(『ブラー・ブラー・ブラー』『インスティンクト』『アメリカン・シーザー』)、元MC5(ツアーメンバー)、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュとダフ・マッケイガン(『ブリック・バイ・ブリック』)、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ボニー・レイットを手がけたプロデューサーのドン・ワズ(『ブリック・バイ・ブリック』『アベニューB』)など充実したメンバーたちと活動するが、以前ほどの大きな評価は得られることはなかった。

2003年にベーシストに元ミニットメンのマイク・ワットを迎え29年ぶりにストゥージズを再結成し、再びパワフルなサウンド、ステージを展開する。特に2007年のフジロックグリーンステージでのライブは熱狂した観客百人以上がイギーをステージに上げてしまい客にマイクを取られるなどパニック状態になり、ライブが中断するという異様な事態となった。

2009年1月、ザ・ストゥージズのギタリストのロン・アシュトンが心筋梗塞と思われる病因で死去。ミシガン州の自宅で死後数日経っているところを発見された。



影響
パンクゴッドファーザーという異名を持ち、ライブにおける過激なパフォーマンスは、セックス・ピストルズレッド・ホット・チリ・ペッパーズマッドハニーなどにも深い影響を与えた。サウンド面でも、ストゥージス時代の曲はセックス・ピストルズダムドスレイヤー、デフ・レパード、ガンズ・アンド・ローゼズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、サウンドガーデン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ホワイト・ストライプスなどがカバーしている。特にホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトは2ndアルバム『ファン・ハウス』、セックス・ピストルズのジョニー・ロットン、ニルヴァーナのカート・コバーンは3rdアルバム『ロー・パワー』をベストアルバムに挙げている。


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2015.05.09 
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