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セックス・ピストルズ (Sex Pistols) は、イギリスのパンク・ロックバンド。ロンドン・パンク・ムーブメントを代表するバンドである。ロックが本来持つ反社会性を甦らせ、現在に至るパンク・ロックの原形と目されている。ザ・クラッシュ、バズコックス、ジョイ・ディビジョンらは彼らに感化を受けてバンド活動を始めた。

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1976年11月 - 結成
1977年10月 - ファーストアルバム『Never Mind the Bollocks』を発売。
1978年1月14日 - 初のアメリカツアーの最中(サンフランシスコ、ウインターランド公演後)に、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。
その後スティーブ・ジョーンズとポール・クックは、イギリスの大列車強盗犯人であるロナルド・ビッグスや、ナチスの戦犯で絞首刑の判決を受けたが1972年まで死体が見つからなかったため南米逃亡説のあるマルチン・ボルマン(これは本人かどうかも不明だが、映画『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』でもナチスの制服を着用した男が登場している)とのコラボレーションを行い、おふざけ半分でピストルズを延命させた。マルコムは、嫌がるシド・ヴィシャスに、フランク・シナトラの「My Way」(替え歌)をレコーディングさせ、レコード発売もおこなっている。その後シドは恋人であったナンシー・スパンゲンを刺殺した容疑をかけられたまま麻薬の大量摂取が原因で他界。結果的にはシドの代表的ナンバーとなった。

1996年には、ベースにグレン・マトロックを復帰させ再結成、世界ツアーを行い、来日した。海外の有名アーティストとしては異例の一ヶ月間かけた全国18公演を行っている。

2002年夏に二回目の再結成、イギリスとアメリカで2公演を行い、2003年夏にはアメリカツアーを行う。2007年11月に四回目の再結成を行い、ワールドツアーを展開。2008年、サマーソニックに出演。
登場の背景


1970年代のロックシーンは、当時の二大ジャンルと言えるハード・ロックとプログレッシヴ・ロックに典型的なように、演奏テクニックと思想性を重んじる風潮が支配していた。ロンドンのキングス・ロードで、小さなブティーク『SEX』を経営していたマルコム・マクラーレンは、店に出入りしていたスティーヴ・ジョーンズ(ギター)、ポール・クック(ドラムス)、ジョニー・ロットン(ヴォーカル)、グレン・マトロック(ベース)の4人の若者にバンドを組ませ、セックス・ピストルズと名乗らせた。マルコムはアメリカで二週間ほどではあるがニューヨーク・ドールズのマネージャーを務めたことがあり、ニューヨーク・パンクのムーヴメントをイギリスでも流行させようと目論んでいた。

ピストルズはそのシンプルで攻撃的な演奏、EMIのような大手音楽レーベルやイギリス政府、果てはイギリス皇室までを標的にした歌詞、破れた洋服を安全ピンで留めるファッション、短くカットされツンツンに立てられたヘアスタイル、TVや雑誌のインタビューで SHIT,FUCK を連発するといった人を小馬鹿にした態度などが、不満を抱えた労働者階級の若者たちから絶大な支持を得るようになる。同時に愛国主義者から敵視され、演奏会場の提供拒否や排斥運動が起こった。

この拒否反応はメンバーが右翼に襲われて重傷を負う事態にまでになった。MI5(英国機密情報局)本部のテロリスト・諜報部員などの監視を行う部署には、『1977年コンテンポラリーミュージック破壊活動分子』と云うタイトルの付いた膨大な量の資料の入ったファイルがあり、中の書類は、全てピストルズに関するものだったと元MI5部員が証言している。しかし彼らは必ずしも左派とは言えず、彼らの楽曲『Bodies』は、イギリスの保守ソングのランキング10位中にランクインされている。

切り裂いた洋服を安全ピンで留める、短くカットされツンツンに立てられたヘアスタイルといったパンク・ファッションは、元々リチャード・ヘル(テレヴィジョンやハートブレイカーズの創設メンバーであるニューヨークのミュージシャン)が行っていたものを、マルコム・マクラーレンがピストルズに採り入れさせたものである。

ベーシストのグレン・マトロックはビートルズ、ポール・マッカートニーが好きであると発言したことを理由としてマルコムに脱退させられ、代わりにピストルズの熱狂的なファンであり、ジョニーと親交のあったシド・ヴィシャスが加入する。

ポゴダンスの発明者とも言われるシドの加入で、ピストルズはヴィジュアル面でよりスター性のあるバンドとなった。しかしピストルズのほとんどの曲を書き、アートワークにおける功績も大きかったグレンの脱退はバンドの将来に暗い影を落とすこととなった。

ロンドンのクラブ演奏で徐々にファンを増やしていった彼らは、EMIと契約、シングル「Anarchy In the U.K./I Wanna Be Me」でデビューするが、直後にEMIは契約を破棄。続いてA&Mと契約しシングル「God Save the Queen/No Feelings」が企画されるが、発売前にA&Mが契約を破棄。両社から巨額の違約金を手に入れる。最終的にはヴァージン・レコードと契約をして以降のシングル、アルバムを発売している。

この契約トラブルは、バンド側の不遜な態度もさることながら、レーベル所属のプログレッシブ・ロックのミュージシャンたちの強硬な反対も大きく影響していた。最終的に契約したヴァージンでも、マイク・オールドフィールド(ヴァージン契約第1号ミュージシャンでもある)が最後まで契約に反対していたという。

初にして唯一のオリジナルアルバム「勝手にしやがれ!!」はポール・クックの提案によりロキシー・ミュージック、ピンク・フロイド、ポール・マッカートニーなどを手がけたクリス・トーマスのプロデュースのもとで制作された。この結果、バンドのサウンドはギター中心の、本来のライブと比較すると落ち着いた音造りとなった。クリスは、1996年、2007年の再結成のライブ盤のプロデュースも行っている。

マルコムはアルバムの販売権をヴァージンには独占させず、フランスの会社に一曲多い盤の製作を許可するなどの揺さぶりをかけた。米国では大手のワーナー・ブラザーズ、日本では当初日本コロムビアからと、本来の資本系列とは無関係に発売された(後に日本盤はヴァージン提携レーベルからの発売に変更されている)。

1976.01.01 
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